- 2006-09-25 (月)
今日も一眼カメラ談義と行きたかったのですが、仕事がものすごく忙しくなってきていよいよカメラをいじれていない今日この頃です。
さて、今日は昼食時に『生まれながらにして天才は存在するか?』という話でもりあがりました。自分的に面白かったのでちょこっとメモしておこうと思います。
結果から言うと「存在しない!」ということになったのですが(というか俺的にそう思ったw)
確かに歌手で言えば、ウマイ!ヘタ!という境界線は、存在します。じゃぁ歌がウマイ人は天才←→歌が下手な人は天才じゃないということになっちゃうのか?といわれれば違う気がします。
なぜなら、
歌がウマイ人は、生まれながらに歌が上手かったわけじゃないからです。
すべての人間は、「環境によって形成される」というのが持論です。では、環境によって天才が生まれるとはどういうことか…
例えば音楽の天才といわれる人ならば、
1.音楽家族に生まれた子供は、小さい頃からハイクオリティな音楽に触れる機会がものすごいあった。
2.音楽のすばらしさを知る機会があったので、音楽が好きになった。だからたくさん遊んだ(練習した)
3.音楽を愛する大人たちが周りにたくさんいたし、知り合えたので音楽の道が開けた。
など、環境によって天才といわれている人が育ったんだと思います。では素質(生まれながらの身体的能力の違い)は関係ないのか?といわれれば関係ある気がします。黒人の身体能力が日本人より優れているのは確かですし、声質なんてその人その人で違うわけですし。野太い声の持ち主が世界一のソプラノ歌手に勝てるのか?と言われれば身体的な能力で見るからにかないません。じゃぁ生まれながらに天才は決まっているじゃないか!となってしまいそうなのですが…。
それはきっとエレキギターとピアノの違いなのではないかと思いました。
エレキギターでピアノの音は奏でられませんが、音楽的にどちらが上か?などとは比べられません。つまり素質(生まれながらの身体的能力の違い)は、いわばオリジナリティな部分であってオリジナリティにあった部分を環境に応じて延ばすことができれば、それが天才と言われれる類なのだ、というのが結論になりました。
なるほど、ボクが昔から言う「デザインが好きかキライかが一流デザイナーの境界線」を裏付ける流れになってきました。
とどのつまり天才といわれる人は、それ相応の時間を消費しているということですね。好きだからこそ追求したのであって、その蓄積が天才的な技術となるんだろうけど。
改めて人間の可能性の広さを思い知ったお昼時でした。
さぁーて、仕事するか…;(´Д`)
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